HISTORY OF D’URBAN

1970

1980

1990

2000

2010
1970

PROLOGUE
このころ、ダーバンの哲学をコアとして様々なブランドが派生していった。
「紳士服を真の産業にするためにいっしょにやりませんか」「わかりました。
手を組みましょう」。尾上清レナウン社長と高橋益久ニシキ社長のこの出会い
から、日本における紳士服の未来への挑戦は始まった。
1970年、レナウンニシキ創立。
ダーバンのブランドストーリーは、ここから築かれていく。

RENOWN - DURBAN - D’URBAN
1922年、英国皇太子プリンス・オブ・ウェールズ来日の際の御召
艦“RENOWN”に巡航してきた供奉艦が“DURBAN”、そしてその名の元となった
のが総督“Sir Benjamin D’Urban”。ダーバンの名はここから採られた。
レナウンが世に問う紳士服のブランドとしてふさわしい由来、濁音から始まり
「ン」で終わる男性的な響き、さらに“D”の後につく「アポストロフィー」に
よって付加されるヨーロッパ的ムード、フランス語の「都市の、都会的な」と
いう意味。まさにメンズファッションの新潮流を託すにふさわしいネーミング
だった。

D’URBAN C’est l’elegance de l’homme moderne.
1971年、「日曜洋画劇場」(現テレビ朝日系)でスタートさせたCMに俳優のア ラン・ドロンを起用。「日本一のかっこいい服を、世界で最もかっこいい男に 着せたい」という熱意が、世界のトップスターとの契約は不可能という当時の 常識をくつがえした。文字どおりのナショナルブランド・ダーバンが、このと き誕生した。
1980

SPIN OFF
このころ、ダーバンの哲学をコアとして様々なブランドが派生していった。
「ダーバンカジュアル」を前身とし、多様化を続けるカジュアル市場に向けて1975年に発表した「インターメッツォ」を皮切りに、大学生を中心とした新しいユースマーケットに向け、衣料品を始め、雑貨、日用品、家具、アート、学習用品までをアソシエーション方式で幅広く揃えたブランド「イクシーズ」、さらに87年には、“D’URBAN”の綴りを逆にした「アンチ・ダーバン」とでもいうべき新感覚のブランド「NABRUD’ - ナブラッド」を世に問うなど、発売から10年を経たダーバンのブランド世界は大きく広がりを見せ始めた。

OUTBOUND
この時期、ダーバンの目はアジアに向けられていた。
3年後にオリンピック開催を控え、市場が急速に成熟し始めた韓国。1985年に合弁会社・韓国ダーバンを設立、翌86年には韓国映画界きっての名優イ・ドクファがCMキャラクターとして登場し、韓国でもダーバンの名は急速に広がっていった。
さかのぼること1976年には香港企業と合弁会社を設立し、ライセンス生産を開始。現在この地におけるダーバンは、ハイセンスのラグジュアリーブランドとして完全に定着している。「日本一のかっこいい服」はまた、アジアの男たちをも魅了した。
1990

20th CHALLENGE
1989年、昭和天皇崩御により平成の時代が始まる。
1990年、ダーバンはデビュー20周年を迎えた。この間に生まれた様々な派生ブ
ランドが縦糸、アジアなど日本を超えたマーケットの広がりが横糸となり、
ダーバンは「時代」という美しいタペストリーを織り上げてきた。
1991年2月、青山246ビルの屋上にダーバンの屋外電飾広告の灯が点った。それ
は、日本のファッションシーンを代表するエリアを闊歩する人々に向けたダー
バンからの力強いメッセージとなった。

MONSOON
「高温多湿の日本の気候にマッチしたスーツを開発する、それもダーバンが発 売するにふさわしい高い完成度を持ったファッショナブルなスーツを」。この 強い決意でダーバンは、日本有数の服地メーカー・日本毛織と共に「超涼服」 の共同開発に着手した。すでに世に出回っていた清涼スーツと違い、ダーバン は表地だけでなく、芯地や裏地にまで「涼しくて型崩れしにくい。かつソフト でハリがあって軽い」ことを求めた。こうした矛盾する課題を克服して誕生し た新・アジア服“MONSOON”。新商品発表会の席で製品を着用した当時の社長 は、満足げに「寒くて風邪を引きそうだ」と、集まった多くのマスコミ勢を笑 わせた。

ISO9001
ダーバンの品質に対する心構え「最高の品質の洋服を作る」はデビュー以来変
わることがない。ダーバンは1998年、品質管理の国際基準“ISO9001”を取得す
ることで、そのモノづくりの精神を明確に表現した。その精神は、次の一文に
よく表されている。
〜「ああ、ダーバンだ」という一言のために 〜
ダーバンは考えます。「この服はモノがいい」とは、果たしてどういうこと
か。結論は、きわめてシンプル。それがダーバンのタグのついた一着である限
り、どの一着をとっても、必ずよいモノであること。そして、このシンプルな
結論を実現するために問われるのが、「モノのつくり方」そのものの、高い品
質なのです
2000

D’URBAN is the elegance of modern men.
2000年、ダーバンは久しぶりに外国人俳優をブランドのイメージキャラクター
に起用した。ハリウッドスター、ノーマン・リーダス。当時『処刑人』『ブレ
イド2』等の作品に出演、またプラダのモデルも務めるなど、映画界を超えて注
目を集めていた俳優だ。甘いマスク、時折見せる屈折した表情など、顔立ちこ
そ違えどアラン・ドロンと共通したムードを漂わせていた。 ※写真左
2003年にはTVCMも放映。かつての名台詞“D’URBAN C’est L’elegance de
l’homme moderne.”も、昔より若々しい声で復活した。

中DVD¥1,886(税抜)/Blu-ray¥2,381(税抜) 発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
© 1999 South Boondock Productions, Inc. All Rights Reserved.

for ATHLETE
日本人としての誇りを胸に様々な国際大会で世界と戦う日本代表選手たちが身
に纏うオフィシャルウェアに、なぜ日本のナショナルブランドが少ないのか。
長年忸怩たる思いを抱き続けていたダーバンは、2003年、満を持してラグビー
ワールドカップ日本代表のオフィシャルスーツサプライヤーに名乗りを上げ
た。これまで扱った一般的体型とは全く異なるアスリート特有のボディに
フィットし、なおかつ日本代表としての品格を表現する。困難な課題をクリア
したスーツを身につけた選手たちは、ひときわ堂々として見えた。

REBOOT
1970年のデビュー以来、ダーバンの運営母体は株式会社ダーバンだった。同じ
名を冠するブランドと企業。常に「コインの裏表」として共に走り続けてきた
ダーバンは、この時大きな転機を迎える。
2004年、株式会社ダーバンと株式会社レナウン(当時)との経営統合・持株会
社設立に続き、2006年、持株会社に吸収される形で両社が合併。社名は、改め
てレナウンとなった。
そしてダーバンの新たなストーリーが始まった。
2010

AWARD
1982年より繊維業界紙の最大手・繊研新聞が創設した百貨店バイヤーズ賞。前
年度「最も輝いていたブランド」を、マスコミでも評論家でもなく、最もお客
様に近い位置にいる全国百貨店のバイヤーが選出する手法を採った栄えあるア
ワードで、2013年、ダーバンはメンズ部門のNO.1である大賞を3年連続で受
賞。翌2014年には大賞こそ逃したものの、ビジネス&トラッド部門の1位をなん
と11年連続で受賞するという快挙を成し遂げた。百貨店のバイヤーにとって重
要なブランドであると認められたということは、とりもなおさずお客様から求
められるブランドであることの証左に他ならない。
消費者の価値観がますます多様化する現代においても、ダーバンは歩みを止め
ることはない。

J∞QUALITY
一般社団法人日本ファッション産業協議会が主体となって行う認証事業。織
布・編立、染色整理加工、縫製、企画・販売の各工程が日本企業によってなさ
れているという、いわば「混じりけなしの日本製」のお墨付きを与えるという
ものだ。宮崎県に自社工場「ダーバン宮崎ソーイング」を持ち、“Made in
Japan”に強いこだわりを持ち続けてきたダーバンが“J∞QUALITY”認証を申請す
ることは、ある意味必然。
2015年3月、株式会社レナウンおよび株式会社ダーバン宮崎ソーイングが企業認
証を取得、続いて7月にはスーツ・ジャケット・スラックス等、2015年秋冬商品
の商品認証を取得した。
「日本の男をかっこよくしたい。
それも日本でつくられた、日本発のグローバ
ルブランドで」ダーバンのデビュー当初からの願いは、これからも変わること
はない。
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